出口王仁三郎氏について  

出口王仁三郎氏について

出口王仁三郎氏についてだが、
彼は、藤原氏の貴族階級の出世であったと思われる。
しかし、いわゆる、藤原一族だが、
中臣氏と藤原氏は、別もの血筋である。
天智天皇以降、中臣氏が藤原と名乗っているだけであると思われる。
中臣氏が藤原氏を冷遇されている話を目にしたが、
親族関係ではない由縁であろう。
また、出口王仁三郎氏は、単純に仇をとりたかったと思われる。
大本弾圧事件があって、世間的に注目を浴びさせるのが目的だと筆者は推測する。
天皇家は、日本人の特別な一族という共同幻想の節がある。
本来、日本を統一したのがウガヤフキ王朝であると言われているが、
現在の天皇家を神格化し、祭り上げるだめに歴史をねつ造、日本人の思考を、
マインドコントロールされているではないかと私は思う。
日月神示は、大和朝廷つながりの人が多いから、天皇家を賛美する人も多い。
だが、私は、正直言って、心底、天皇家を神格化する風潮は気持ち悪いと感じる。
王族は、基本的に為政者と関わるから、関わり合いとならないほうが無難だろう。
て、いうか思い出しまたけど、ニギハヤヒ大王、初代皇帝陛下じゃないやん。

スポンサーサイト

支配について 

支配について

彼を観察していると、支配欲が現れてくる。
支配欲は、虚栄心の現れであり、他人に影響を与えたいという
一種の自己顕示欲である。
支配欲は、一般的に劣等意識から来るものであり、
政略結婚をしようと画策しようとするのものに現れてくる。
支配欲というのは、他人を操ることそのものであるのだが、
誰かにしろ、自己が強いものは、潜在意識で支配欲が現れてくる。
支配欲とは、気づかないだけで、だれにでもあるのだが、
「悪」の内面が気づかないまま、私達は生きている。
また、指導者の素養とは、「支配するという悪」を内面に秘めている。
支配欲の中で、思考を指定、つまり、マインドコントロールの訳だが、
為政者というのは、大衆を指導する上で、思考を見ることが重要と思われる。
通常、人間の思考を洞察するというのは、訓練しないかぎり、見につかない。
「支配するという悪」が反転して、指導者として大成するかもしれない。
悪を改心して、善と成すだ。
霊界物語で記載されているが、「悪」を改心することを物語形式で書いてる。
問題点は、「内面の悪」にどれだけ、気づくようにできるかということだ。
だが、第二の自己、私は存在していないという段階までになるのは、
精神世界でも、ある一定の段階を越えている人物だけであろう。

自己の内面を文字に吐き出すことについて 

こうして、自己の内面を文字に吐き出すことで、
少しは精神の安定を図れるような気がする。
他人のことを、あれこれ、口を挟んでどうするというのか。
それで、なにかが、変わるという訳でもないのに・・・。
彼はこう答える、今の自分自身の自己存在に、矛盾に感じても、
文章として書きだすことで、私自身を、客観的に判断する材料となるのだ。
客観性を維持するには、自己の内面を見ることである。
自己の内面を鏡とするなら、他人の言動や振る舞いに対して反応を見るのも、
また、鏡を見る手法として客観的な方法なのだろう。
彼の精神的に不安定さが物語っているが、
彼の内面の中には、劣等意識から来る支配欲が見える。
他者を支配しようという心理の働きは、虚栄心の現れである。
ただ、悪的概念そのものは、否定的に見るのではなく、
それが正しい形として洞察を得ることにより、
虚栄心を導くことになるであろう。

日月神示
何も六ヶ敷いこと申すでない。自分の内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ。内にあるものを浄化すれば外から近づくものがかわってくる道理。内 の自分を洗濯せずにいて、きたないものが近づくとか、世の中が暗いとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。

艮どどめの文
善と悪とは同じ事、大神様には同じ事。
悪があるから善がある、相対世界の実相は互いは互いの証明書、影こそ光の証なり。
陽と陰との融合をひつき日月で示すこの度の真文明の世界なり。

誤解や非難を恐れるな 

誤解や、非難を感情的になって判断し、失敗することはある。
まあ、失敗して、その人の本質的存在を早く理解しただけでも、良しとするか。
必ずしも、他人に恭順する言葉だけが、正しい言葉ではないだろう。
間違った行動だったかもしれない。
言葉をよく選ぶべきだったかもしれない、しかし、
肯定そのものだけしか、返答できないものは、
否定的言動を否定し、拒絶することは他人に恭順することしかできなくなる。

共同幻想 

大衆というのは、遺伝、血統、家系といったものの
共同幻想を作り上げようとしている。
共同幻想は、生き方を強いられるように仕向ける。
人間というのは、意思を持って、運命を担う。
王というのは、王の視点、王の意思を持って初めて、真の王へと運命を得る。
だが、王族という理由だけで、特別な存在として共同幻想へと集合無意志的に
大衆の思考が支配されるのだ。
血統、家系というのは、常に周囲から強制力で成り立っている。
商人の子供は、商才が期待される。
職人の子供は、器用さが期待される。
王族の子供は、帝王学が期待される。
意思を持つ前に、周囲からその意思を歪められる。
幻想なのだよ。