シュタイナーの霊界観 

元素界→イマジネーション認識
天界→インスピレーション認識
理性界→インテュイション認識

元素界は、エーテル界
天界は、アストラル界
理性界は、マナス界

元素界は、厳密に言うと、エーテル界ではない。
四大元素+エーテルであるのだが、
物質世界は、エーテルとごちゃ混ぜになるから、”感覚的にはわかりづらい”。

四大元素界に、エレメントと妖精がいる。

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シュタイナーの秘儀について 


シュタイナーの秘儀は、キリスト教が基盤となっている。
日本人は、基本的に仏教であるからにして、
シュタイナーの秘儀はあまり意味がないと思われる。
仮に、キリスト教だとしても、現代人には、難しいと思われる。
知性が発達してない昔ならいざ知らず、
現代人は、秘儀参入無理があると思われる。


これは、私の直感だけどね

グルジェフのパークドルク義務を推奨する。
その前提で、シュタイナーは役に立つ。
苦悩を伴う著書が良い。
自由の哲学よりは、アリスベイリーか霊界物語(拝読必須)。
拝読というのは、かなり苦悩を強いられる。
霊界物語は、そういう前提である。


かの魔導師ニギハヤヒ大王がかかわっているはずだ。
火水伝文もそういう作りだ。
グルジェフの著書を読んでいて、ピーンときた。


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超人思想に興味がある人は、ニギハヤヒレーザーにひっかかるかもしれない。span>

まあ・・ふさわしい人物のみ、仕掛けって来るのだけどね・・。

シュタイナー 

私は、シュタイナーを肯定的と否定的の両方を見ており、
シュタイナーの高度の知性のみを評価するだけにはいかないと思う。
彼の周りには、有象無象の大衆が集まりすぎた。
もともとの方針は、アントロポゾフィーの人間を講和という形だが、
シュタイナーの思考形態面を概念上、形成されないまま、
シュタイナーの思想がばら撒く過ぎる形で、書物や教育という形で残ってしまった。


彼の思想は、形骸化した

シュタイナー自身は、哲学を基盤とする思考により、アントロポゾフィーを発展していたが、
彼がなにを言わんとしようのかとわからないままの状態を作り出してしまった。

ある程度の段階しかわかる人しかいないという意味から、万人には意味がないと思われる。
第二の自己のみをワークとした導師のみが現在の人類を進化へと導くだろう。

わかった 

ルドルフシュタイナーの言う、
イマジネーション認識と
インスピレーション認識が。
イマジネーション認識は、エーテル界に存在する形象を得る認識であり、
インスピレーション認識は、内なる声と呼ばれるものであり、
霊的存在からの霊聴というよりは、
霊的存在(正守護神)からのテレパシーを認識するという表現が正しいか。
その現象を内なる声と認識してしまい、自己によるものだと語弊してしまう。
真我と正守護神のインスピレーション認識の違いを正しく認識しなければいけない。

シュタイナーの述べる霊界参入 

シュタイナーの述べる霊界参入とは、認識を霊界の質にチューニングすることである。

シュタイナーの言う、
イマジネーション認識(霊視)
インスピレーション認識(霊聴)
インテュイション認識(直観)とはなにか?

イマジネーション→イメージが浮かぶ、
インスピレーション→啓示
インテュイション→類似性の認識(イメージと啓示の類似)

福音書を手本とすると、
イマジネーションは、イエスの物語が浮かぶ。
インスピレーションは、福音書の啓示ではなく、内なる啓示としてうける。
インテュイション認識は、イエスの物語と内なる啓示の類似性を確固たる認識へといたる。

例としては、


イエスは次のことを言っている。
人はパンのみに生きるにあらず。

私はパンであり、
私のパンを食べずして
永遠の命を得ることはできない。


これは、人は食物だけでなく生きているのではない。
感覚意識(印象)をうけて、
マナスを形成するとのべている。

補足すると、シュタイナーの述べる霊界参入とは、霊能力を得ることはできない。
チャクラを萌芽から花を開くための基盤を手にすることである。