闘争 

ブログを見ていて、
人から批判、抗議されたぐらいで
ブロックするやつて何なんだろう。

ショボい人だなと思った。

権力、上司で自分の意見を逆らう
ものは許さないていうたちだろう。
これらは、自我が起因し、
アストラル体が病気の因となる。

心臓病、喘息、統合失調病等。

業想念がアストラル体に影響をうける。
病気になる人間は、
大多数が自分は悪いことはしてきてない
と思っている。

統合失調症が知性型の起因しているなら、
さぞ優秀な人間なのだろう。
大多数は、優秀な人間を
社会的地位を登用する。

天狗👺となる。
天狗👺は自身で気がつかない。
むしろ、言ったら怒る(`Δ´)だろう。

闘争を好むたちと言えよう。
理性心をてにいれるには、
訓練が必用である。

他者は鏡とは、
他者を自己と見なすことである。

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自己との内面 

薔薇十字において、第二の自己を覚醒することにおくこがまず第一点である。
第二の自己を連結することをアンタカラナと言っているのだろうと思う。
第二の自己の三段階目に至ると、
霊的な事象にきづくようになるのだが、
超感覚的認識へと形成されるのだ。
イマジネーション認識、インスピレーション認識、インテュイション認識へと霊界参入できるようになる。
シュタイナーの著書を読んでいて、超感覚的認識へと覚醒しないものは、
第二の自己が形成されてないからである。
結局の所、バグワン・シュリ・ラジニーシのやり方が、
ゆるやかだが、全人類にたいして有効なのであろう。
しかし、瞑想家の多くは、第二の自己が形成されない。


ここで、重要なことがある。
独身生活が望ましくて、
自己同一化を塞げなければならない。
あらゆる環境で根をあげないで、忍耐力が必要である。


だが、現在の人類では不可能に近い。
なぜならば、独身を通しきらん。
貧乏をいやがる。
すぐ、不満を漏らしたがる。
用は、根性がない。


以上に人間を日月の神は”ふにゃふにゃのこんにゃく御魂”と言っている。


人は一人では生きてはいけない。 

人は一人では生きてはいけない。
だから、仲間を求めるのだ。
だが、他人である仲間を得られないものは、
物の仲間を求める。
所有したいという衝動は、独りではいられないということだ。
物で埋まっている屋敷がたびたび見うけられるが、
その主人は孤独なのであろう。
もし、自分自身の独りであることに気づくなら、
他人の苦しみにも気づくようになる。

怒りの変容 

怒りと寛容性はコインの表と裏のようだ。
怒りがあるから、敵と戦うことができ、
怒りを理解すると寛容性が高まってくる。
怒りを発散する者もいれば、怒りを抑圧するものもいる。
だが、どちらにせよ、変容はしない。
怒りを理解し、気づくことだ。
イラッとくるものは、頭からきているもので、
これらは、深呼吸し、沈めることが大切である。
なお、本当に”腹で怒り”が込めあがってくるものだけは怒ってもよい。
恐れもそうだ、恐れという性質を理解したならば、
勇気が生まれてくる。
このことがわかるならば、
怒りも恐怖もまた、自己の内部に変容が起きであろう。

自ら思考する事の出来ないものたち 

思考とは記憶回路のことではない。
問題点は、考える力がないのである。


たとえば、話した相手の思考がなぜそのような思考をするのか?
など少しづつ思考に注意をはらうことで、観照することだ


人は苦悩が嫌いなのだが、特に考えるという力が発展していなくて、
怒りがこめてくると、暴力、恫喝、批判、侮辱で対象をなじるのだ。
また、怒りは抑圧してもいけないのだが、このような行為が頻発になったら、
まっさかさまに死後”落ちるであろう”。

思考する上で注意点。

まずお喋りである。
情報をあつめたがる。
テレビをよく見る。
体の動きが落ち着かない。(思考のはけ口がない場合)

こういった類のは、思考センターを外部から刺激し、
そして、これらは、思考をしているのではない。
思考とは記憶回路のことではない。


君は自分自身の状況を認識していない。
君は牢獄にいるのだ。
もし、君が分別のある人間なら、
君が望むことは
そこから脱出することだけなはずだ


牢獄(六道輪廻)から解脱し、涅槃に入るしか道はない。
それには、高次思考センター、
高次感情センターを連結することである。


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石の上に立つ
兵士の謎を解く鍵とは生ける力のダイナムを
正しく応用することであると知るとき
彼は結社の神秘を学び取り
ルシフェルの力は彼のものと成る