自我 

人が成長していくときに、

欲望を満たしたいという強い自我を生むようになる。


ひふみ神示
早よ我捨ててこの方について参れよ


自我が強いひとほど、

苦しみ・怒りの原因を他人のせい、あるいは社会や環境のせいにし、

その原因が自分自身の自我であることを認めようとはしないものです。

たとえば、貧困(お金を満たしたいという欲望の強い自我)

なのは、親のせいだとか言って、他者の存在に怒りをぶつける。

自我が強い人は、攻撃性が強いのだが、

暴力を振るったり、暴言を吐いたりする。


ひふみ神示
我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来るぞ、
我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程 悪ふとりてゐるから、
こんな身魂は今度は灰ざぞ、もう待たれん事になったぞ


我が強い人は攻撃性が強いのだが、

批判や中傷を繰り返し、だんだんと御魂が曇ってくる。

そうなると、我よしの存在になってくる。

我よしの人は、

他者の存在に不調和をあたえてもそれに

気づいてない状態のことを体主霊従と言う。

つまり、相手に批判や中傷などの悪い行為を与えても、

本人がなんとも思わなくている。

こうなると、御魂が曇っているので、

だんだんと悪がふとくなる。


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自我 

我の強いということは、素直ではないことである。

*何らかの学ぶうえで、自我の強いということは最も障害となるものである。

学ぶことで、言葉を素直に受けとめることが大切である。

*謙虚な姿勢なくして人から学ぶことはできません。

我の強いものは、

「私はこう思っている」

「いや、それは間違っている」

など、文句いたり、批判したりてくるのだ。


*否定から始めていると、いかなる学びも進歩しないのだ。

オコツトは意識進化について次のことを言っている。

「自我の消滅です」


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ペルソナ(仮面) 

人はだれにでもペルソナ(仮面)を被って生きている。

ある人は知的に見られたいと思って知的な文章を書こうとする。

そして、難しく書き、理屈的に書こうとする。

しかし、本当に賢い人というのは思慮深い人達のことを言う。

自我を保つために偽りのペルソナ(仮面)を被ろうとするのだ。

君はだれだ。

俺はだれだ。

だれにしも、良く見られたいと思ってペルソナ(仮面)を被って生きている。span>

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ピタゴラスの黄金詩篇 

ピタゴラスの黄金詩篇

まず不滅の神に対して汝の勤めを果たすべし
親御と近親者を敬い
徳において第一の者を友となし
彼の話に注意深く耳を傾けるべし
ささいな欠点で友を力に任せて捨てるな

怒り、怠惰、贅沢は避けよ
邪悪なものを慎め
しかし己を最も恐れるべし

肝に命じよ、人は皆死ぬべく定められている
富はそれを得た時と同じように速やかに失われる

苦しみは、神のおぼし召しによってもたらされるので、喜んで受けよ
だが、一切の気苦労を除くように努め
正しい者がいつも最高の利益を得るとは限らないことを思え

人の甘い言葉に惑わされるな
荒々しい脅迫に恐れをなして正しい覚悟を捨てるな
もし何かをしようとするなら、まずよく考えよ
後で悔やむようなことはしてはならぬ
まず自分に向いている事を学ぶようにせよ

運動と食事に節制を心掛け
平静な落ち着きの中に己を保つべし
虚栄心がもたらす浪費を戒め
浅ましくなってもいけない
何事も中庸が最善である

例の日記(自省の日記)を3回繰り返すまでは
夜、目を閉じて休んではならない
どんな過ちを犯したか、何をしたか、何をしていないか
このように初めから終わりまで総括を行ない
悪行のためには悲しみ、善行を喜べ

恐れることはない、人はもともと天上の種族である
神聖な自然により何を抱擁すべきかを教えられ、
それを追求すれば、魂を肉体の汚れから守ることになる

控えよ。理性を用いて心のたづなを引け
そうすれば天上へと昇り、肉体からは自由になる
そなたは死を免れた聖人であり、もはや滅びることはない
 

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善であるか悪であるか、それは考える人間の立場によって変わるものだ。 

人の罪のうち、殺人は忌み嫌われる。
しかし、かりに他者から殴る、けるなどの暴行を受けたりしたら、
自己の防衛のために殺しをして、はたしてそれは悪いことなのであろうか。
善であるか悪であるか、
それは考える人間の立場によって変わるものだ。

よく、いじめた人間をやり返せばよいと言う。
しかし、こうしたいじめる人間は複数の人間で暴力(暴言)をし、
こういった相手は仕返しがくるであろう。
それならば、自己の防衛のために人を殺してなにが悪いのか。

道徳とは人が特定の集団を維持するために作った規律だ。
そして、集団の数だけ求められる規律があり、その為の道徳があるのだ。
では、正義とはこの狭間にしか有り得ない概念であるという事だ。
絶対的、全ての集団から肯定される正義を見つけるのはほぼ不可能に等しい。


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