ジッドゥ・クリシュナムルティについて 

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「私が言いたかったのは、こういうことです。つまり、七十年間あの超エネルギー、いや、あの膨大なエネルギー、巨大な叡智・・・が、この肉体を使ってきたということです。いかにとてつもなく大きなエネルギーと叡智がこの肉体を通過していたか、人々はわかっていないようです。それは12気筒エンジン並だったのです。

そして七十年、相当に長い期間・・・経った今、肉体はもはや、それに耐えられないのです。何がこの肉体・・・非常に注意深く準備され、保護されつづけなければありえなかった、この肉体・・・を通過していたか、誰も理解できないのです。誰も。
(メアリー・ルティエンス著 『クリシュナムルティの生と死』より)

クリシュナムルティがいったい何を言っているのか?
これは、クリシュナムルティのアストラル体が実は、
マタイの系統のイエスのアストラル体が合体していたのだ。
マタイの系統のイエスは外宇宙に帰還する際、そのアストラル体は地上に残されていった。
秘教グループがジドゥ・クリシュナムルティに受け継がせたのだ。
だが、マタイの系統のイエスのアストラル体のエネルギー体は強力なため、
肉体に負荷がかかっていて、このことが、クリシュナムルティの生と死の話につながる。

最終的に、釈迦のエーテル体、アストラル体、メンタル体を
ジドゥ・クリシュナムルティに受け継がせ、置き換えることで、
マイトレーヤを生み出すことであったのこと。
しかし、ジドゥ・クリシュナムルティが救世主になることを拒否した為、この計画は頓挫した。

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瞑想について 

クリシュナムルティは次のことを言っている
「瞑想は自己認識であり、自己認識がなければ瞑想はないのです。」

「完全に凝視している人が、本当の意味で瞑想しているのです。」

「精神の全過程についての理解は、分析や内省によって生れるものではありません。」

これは、クリシュナムルティは座って目を閉じてじっとしている瞑想は批判的であり、

瞑想とは自己観察のことであると述べている。


火水伝文
このヒノモトに、今ザマの瞑想なるまやかしを持ちきたらし、
普及致せし汝にキチリ申し置く由、首を洗いて聞きやれよ。


クリシュナムルティは次のことを言っている
精神自身の活動を理解し、それを注意深く観察し、凝視し、
精神の無慈悲な働きや、
召使や妻や娘や母親などに対する話し方など
を見つめることによってのみ、
精神は静寂と平和と沈黙をもたらすことができるのです。


人はだれにしも複数のペルソナをもっている。
*ペルソナとはラテン語で仮面や人格のことである。

親の前、恋人の前、友達の前、

複数のペルソナを被って生きているのだが、

クリシュナムルティは、

日常の人間関係においても行うことで、

自分自身のあるペルソナを観察しろと理解することが瞑想であると述べている。


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