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 2016年04月 

瞑想の解釈 

瞑想の解釈が違うのは、
瞑想の種類によって、変わってくる。
呼吸法は、ハタヨーガ。
シュタイナーの瞑想がラージャヨーガにあたると思われる。
超感覚的認識を目的としているなら、思考を純化しなければならない。
まず、第一の自己を安定化するには、思考を明晰化しなければならない。


自我は思考に属する。

思考を高次の思考センターに連結することで、
高次の自我へと導きやすいからだ。
瞑想の多くが、観照、無思考を目的としているが、
これの言っている意味の点は、
思考と同化しないことを言っている。
矛盾しているようだが、


無思考とは、非言語化のことを指すと思われる。

言語化できないほうが、物事の知覚がそれまでとは比べもの
にならないほど明瞭になったり、自分の頭を通り過ぎるいろいろな
印象や雑念に対して客観的に敏感になってくるものだ。


思考と自己同化しない

だが、大悟といかないのは、第二の自己を覚醒する前に、
禅などは自己満足へと陥る。
このことを和尚はスピチュアル体を超える前に、禅をやってはいけないと名言している。


そういえば、和尚によると瞑想とは意識のある無思考と述べている。

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