内的な精神性 

現在の人類は批判することが多い。

果たして、それは建設的か破壊的か?

あれは○○は偽物だ。

いちいち、わざわざ、コメントとかブログの記事で批判を書く。

信じる、信じないのは

貴女自身の問題だ。

たとえ、それが胡散臭いものだとしよう。

なんで、いちいち、批判したがるのか?

ルドルフシュタイナーによると、畏敬の小道で、

無用な批判をしないで、尊敬や献身をすることが

内的な精神性が高次の感覚知覚を身につけるということらしい。

批判するにしても、その批判性はどのような意図でしているのか。


『絶対変革』より↓↓↓↓↓


【どんな理由があっても、批判や中傷をしてはならない。
どんなに小さいことでも、絶対に中傷してはならない。
批判や中傷は、情報収集から生まれる自我のあらわれである】

批判には、まず自分の考えがあります。
その自分の考えと他人の考えが違う、あるいは行為が違うので文句を言いたくなるということです。
また、対象があるので批判が生まれるわけですから、これは強い自我のあらわれそのものです。
批判は自己主張と同じようなもので、気づきとはほど遠い状態です。
中傷というのは、批判を越えてしまって、言葉に出したり、攻撃行動に移したりして相手を傷つけることですから、絶対におこなってはならないことです。
批判や中傷の原因を探ると、やはりそこには情報収集があります。
何も知らなければ、批判や中傷は起きません。
私たちは別に知らなくてもいいものをいっぱい取り入れ、そうしたどうでもいいもので頭がいっぱいになって混乱しています。
身辺整理から始めて頭のなかを整理しなければ、「真の気づき」は体得できません。


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アーリオーンは次のように教えている。
「自分を観るということは、先ず自分の言葉で自分のことを語ることから、
そして他者にそれを伝えることから始まる。
他者の反応は自らのものとは異なる筈だ。どこがどう異なるのか?
異なる点について自分は、どう感じるのか?
そうした事柄を誠実に会話する努力無しで、一般論を持ち出していては、
自分を観ることから遠ざかることになる」

批判や中傷を目的とした批判や中傷は無価値だが、
調和や和解を前提とした論争なら有意味である。
また、それが単なる自己主張ではなく、相手の視点や客観的な視点、
つまり多角的な視野で全体を観る必要がある。
ネオデジタル内観によって真我と繋がれば、
今までとは違う次元から全体が見えるようになる。
また、知識ではなく真理を体得する為、自我と自我の論争や批判ではなく、
相手を諭す為の説教となる。

シルバー・バーチは次のように伝えている。
「自分が得た真理を次の人へ伝えてあげる、
それが真理を知った者の義務なのです。
自分の知り得たことを他人に授けてあげる事こそ、
私にとって奉仕の道だと心得ているからに他なりません」

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