天皇について 

大化の改新以後、天智天皇から聖武天皇の在位中に、
祭祀を司っていた中臣氏により成形されたと思われる。
やがて、朝廷の祭祀は、 中臣氏(藤原氏)と忌部氏になるのだが、
中臣氏は、「大王」から「天皇」への移行を完全なものにするため、
様々な試みがなされているのだが、
本来、天皇家の祖霊を祀る三輪山での祭祀は
族長たる天皇自らが司っていたのだが、
三輪山から伊勢へと遷したのは、中臣氏であった。
元々伊勢は磯部氏の所領であったが、
天皇家に献納されているとされるが、
実は、壬申の乱で取り上げられ た。
三輪山は「大王家の祖霊を祀った地」の記憶を消すかのように、
大国主命の大物主命を祀り、のちに大三輪君の一族にこれを祀らせている。
やがて、江戸時代の朝廷は五摂家の当主の合意のみでの運営が可能となり、
天皇と言えどもそれに抗うことは困難となった。
その一方で五摂家の当主ですら幕府が摂政・関白の任命権を事実上掌握している以上、
幕府の意向に反することはできず、これにより
幕府→摂家・武家伝奏→天皇および諸公家、
という幕府にとっては非常に効率の良い朝廷統制の仕組みが完成した。

ちなみに、伊勢の地には、大昔、巫女を中心した社会があったのだが、
サルタヒコとは、その当時の男性長であり、
ウズメノミコトとは、その当時の巫女の長のこと。

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