思考認識 

人格について
グルジェフの著書で、
ベルゼバブブ
ハセイン
本質友人ゴルナホールハルハルク
という3人の人物がでてくる。
おそらく、これは一人の人物の複数の人格のことを言っている。
なぜ、本質友人と書いているのだろうか?
普通、人物像で本質な友人と書くだろうか?
ここに注意力が必要である。
それがどういう意図で書いたのか読み取るのかが、
グルジェフの仕組んだことである。
グルジェフは通常、人類というのは、
人格が三つの分裂しあったことを、
低次の自我、高次の自我、本質としての自我という、
三つの自我を人物として著書して書いているのだが、
ハセインを低次の自我、
ベルゼバブブを高次の自我
ゴルナホールハルハルクを本質としての概念として、
自我をそれぞれ分別しあっているのであろう。
グルジェフは馬車にたとえて、
三つにたとえているがそれにつながっているのであろう。
グルジェフの思想でいう、思考認識というのだろうか、
通常、人類というのは
認識形式がある一定の形式にそって活動している。
ある計算式のように、
一定の範囲のことしか、考えることができない。
ある認識形式範囲しか活動外にしては、
理解が及ばない場合、考えることが放棄するか、
対象を除外する方向性にあたる。
これが、通常、人類の思考における形式である。
これを壊す方法は、
思考形式を分解し、組み立てる思考を考えさせるように
著書で書いているのであろう。

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