我欲を捨てる 

我欲を捨てるという言葉があるが、シュタイナーによると、
霊界参入する場合、自我を失くすことを述べていたのだが、


言葉で言うのは容易いのだがな。

まずは、客体的に他人の言動、文章を判断するのだが、
通常、客体的とは、聴き手のみだが、
客観性とは主観が第三者の立場で見ている状態のことである。

和尚によると、
自己想起の技法はすべて、「知る者」を開示するものだ。
ゲオルギー・グルジェフはこれによく似た技法を使った。
彼はそれを自己想起と呼んだ。
彼いわく、何かを知ろうとしているときには、いつも「知る者」を想起せよ。
対象の中にそれを忘れてしまってはいけない。主観を想起せよ――。
グルジェフいわく、聴いているときには、
語り手とともに聴き手のことも知れ――。
知識に必要なのは、双方向の矢となって「知る者」と
「知られるもの」の二点を指し示すことだ。
対象に向かって一方向にだけ流れるようではいけない。
「知る者」と「知られるもの」の二方向に同時に流れる。
これが彼の言う自己想起だ。
~OSHO~ヴィギャン・バイラブ・タントラ
『存在とひとつに』知る者と知られるものを知る~より
抜粋終わり

しかし、自己想起の技法はすべて、「知る者」を開示するものだとは、
その人の思考プロセスを見ることで、
瞑想の本来の意義は、自我を失くすことにつながると思う。
いや、厳密に言えば思考と自己同化をすることを防ぐことが異義語になるのだ。


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