禅は無意味である 

禅は無意味である。
そもそも、禅とは、本来、無思考による瞑想である。
組織とは形骸化するが、
第二の自己に到達してないものがやっても、たんなる自己満足。


イエスは次のことを言っている。
人はパンのみに生きるにあらず。

私はパンであり、
私のパンを食べずして
永遠の命を得ることはできない。


グルジェフによると、
宇宙法則ヘプタパラパーシノクの説明で、
粗悪な物質を純度の高いものに変えるプロセスを、
つまり、低次の自我を高次の自我に変えるプロセスを、
得てないものが、お寺という社会組織では、
意図的苦悩、意図的努力が形成されない。

一般的に、禅宗の臨済は光明を得たが、
そのプロセスの認識を得てない。
ラマナ・マハルシもそうだが。

”私と誰か?
 私とは存在しているのか?
 私という私は認識を得ているのか?”

という絶え間ない自己想起を推奨する。

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