第二の自我 

第二の自我が生まれるときに、私という自我の外に感じる。
第二の自我の第二段階めと進むときに、低次の私に自己愛が感じる。
この時に、浄化へと進むのが大悟(光明)へと導く。

私は、
お茶を飲むときに、
歩いてるときに、
お風呂に入っているときに、
私とは誰かという技法で、光明へと導いた。

無意識と意識の二つの狭間の認識を得るのが覚醒者である。
だが、私とは誰かという技法だけでは、たらない。
これ以前に、絶え間ない環境の変化による、自己同化を防いだので、
数ヶ月で、光明へといたった。

私の場合、瞑想とは禅的な瞑想である。
座禅の類の姿勢はしない、
瞑想の多くは、座禅のイメージがあるが、本来は、

お茶を飲むときに、
歩いてるときに、
お風呂に入っているときに、

ときの自然な状態でのが禅なのであろう。

補足をすると、基盤に、自我の何たるかを研究(思考)することも関係していると思われる。

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