霊媒師 

霊媒行為について、私は否定的である。
これは、他者の批判というより、
霊媒師本人にとっても、
それを聞く人も精神的に未発達が見受けられる。
また、依存という形になるからだ。
はたして、高位の霊的人物が必ずしも正しい指導を行えるかは疑問である。
イシヤ自体も霊的に発達しているが、
しかし、正しい指導はいえない。
釈迦は、私の言葉を鵜呑みをするなといっている。
自分自身の心と照らし合わせて判断しろといっている。


私は、あのひふみ神示の霊媒師と霊団にたいして好ましくおもってない。

彼らの行為は、本人の成長を妨げると私は思う。
正直いって、私は安易なメッセージに見受けられる。
もう少し、考えさせるようなメッセージは私は好ましい。

グルジェフ、シュタイナー、和尚のような人物しか、
現在の人類を高みに導くことはできないだろう。


ちなみに余談だが、アーリオーンメッセージを北川氏届けて、それ以降音沙汰なしである。
それで良かったと思っている。
そういえば、アリオン世紀末書込み寺にアーリオーンを通じての依存をきたす話が書かれていた。

アーリオーンメッセージ
人よ、人としての誇りを失うな。
己を高めるためには己の足で立ち、己の目で見、己の手足で触るしかないのだ。

それが物理的に可能であるにも関わらず、
己の力ですら立とうとしない者達よ。
あなたがたが依存し続けている人間関係、
そして基盤にある社会は既に壊れ始めている。

それらを壊したのは、依存し甘えの相互享受を望み続ける、
あなた方の心だ。


愚かなる者達よ、扉の前で佇むか。
扉の材質について、形状について語り、
それで扉を知ったつもりになるか。

扉を知って、それで終わりか?
扉は、何のためにあるのか。
こちら側と向こう側に出入りするためのものだろう。

扉の向こう側には、どんな世界があるか。
分からないから、扉を開けるのは怖いと言う。

分からないなら、何故、怖いのか?
真実は、分からないから怖いのではなくて、
自分が「分からないもの」に対応したくないだけのことだ。
対応しても、立派にこなせるかどうか分からないから、怖いのだ。

立派に対応できなかったらいやだ、そんな自分を想像しただけで傷つく。
ならば、分からないものには立ち向かわないほうが良い、と考える。
愚かなことだ。

分からないものに勇気を持って対応しようとする者に、
惜しみない賛辞を与えながら、
心の奥底には嫉妬の炎が燃える。
そして、頭の片隅で一生懸命に自分が対応しない理由を、
誰に話しても納得して貰える様な、
美しい正当な理由を考える。
愚かなことだ。

長年、これを繰り返すと、
自己暗示によって、
分からないものに傷つきながら対応することを
あざけるようになる。
更には、そうした行為をしようとする者を説得しようと試みる。
最後には、相手の可能性を潰してまで阻止しようとする。
愚かな・・・・

自立しなさい。
自立とは、分からないことの連続だ。


一瞬一瞬の行為を自らの決断で選び取り、
その結果起きるであろうすべてのことに責任を持ちなさい。
だからといって、排他的になる必要は無い。
誰の意見であれ、自ら意思で選んでいるんだという自覚が無ければ、
自らの能力を試す結果である責任も自分の手には入らない。
自立とはそういうことだ。



私達神霊族は、時の砂の落ち切る時までともにいる。
あなたがた人間は、時の砂の落ちきるのがいつかは知らなくとも、
あなたがたの生命活動の源は知っている。

毎瞬、毎瞬を生き抜くことが、命がけであるのが生命なのだということを忘れずに、
今、この時を享受できていることを実感して、
次の瞬間に向かって羽ばたきなさい。

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