モンゴル襲来 

モンゴル襲来のとき、幕府と朝廷は、親書を送ったが無視して、使者を殺した。
そりゃー、日本側が悪いだろう。
いくら、モンゴルの虐殺があったと言って、どっちもどっちやね。

高圧的な国書を鎌倉幕府に届けます。当時の幕府は、
ちょうど北条時宗(1251~84年 北条時頼の子)が第8代執権に就任したところですが、
この国書を朝廷に転送します。実権がなくなったとは言え、対外交渉の窓口は朝廷だったわけですな。

 そこで、後嵯峨上皇、亀山天皇、関白の近衛基平らは、
 「返答の必要なし」 と、これを黙殺することにしました。

弘安3年 1280年 30 フビライ派遣の使者を北条時宗が斬った。

まあ、日本と協力して、中国を攻めたほうが歴史的には良かっただろうけど。
まあ、日本はこんなやつばかりだから無理か。

チンギスハーン見てみ。
元々はモンゴル高原の一部族を率いていたテムジンという若者。
幼い頃、一部族の長だった父親イェスゲイ

イェスゲイて・・・・・イエスをそのままモジッタwwww

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