冷酷 

冷酷と前、書いたが、私は物事を計算で考えることがある。
感情が時として冷たいと感じるときがある。
それは、前世が権謀術数の世界で生きてきたからであろう。
時として、暴力的な社会は、暴力的な指導者によって鎮圧されなければならない。
かならずしも、かならずしも、正しい善意の指導が多くの普遍的な人類に有効ではないと思える。
グルジェフの話で、王様のやり方を非難した若者がいたが、
そのあとの話で、若者のやり方をしたが、失敗をした。

ユダヤ議定書』の一文を引用しよう。

『議会制民主主義によって世の中はますます悪くなる。
何故なら一般庶民は必ず正しい者より間違った者、利口な者より馬鹿者を選ぶからだ』

為政者にとっては、傀儡のほうが扱いやすいからである。

正しい政治を選ぶなら、突出した個人を後継者を指名する制度がいいだろう。
しかし、貴族(血縁)、政略(打算)、といったものに阻害される。
そこまで、人類は進化をしてない。

ならば、覇王によって、全世界を掌握したほうがいい。
人形にするぐらいなら、植民地化し、革命、帝王学を長い時間仕込んだほうがいい。

おぬしたちは争うことしかできないのだ。
ならば、戦え。
甘えるな。
殺しあうことでしかできないのだ。
ならば、殺しあえ。
暴力的な指導者がいなければ、暴力で解決するのだろうが~。
依存するな。
おぬしたちはすぐ甘える。
だれかに頼ろうとする。
暴力的な社会がいやなら、考えろ。
考えて、考えて、考え抜け。

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