自己の内面を文字に吐き出すことについて 

こうして、自己の内面を文字に吐き出すことで、
少しは精神の安定を図れるような気がする。
他人のことを、あれこれ、口を挟んでどうするというのか。
それで、なにかが、変わるという訳でもないのに・・・。
彼はこう答える、今の自分自身の自己存在に、矛盾に感じても、
文章として書きだすことで、私自身を、客観的に判断する材料となるのだ。
客観性を維持するには、自己の内面を見ることである。
自己の内面を鏡とするなら、他人の言動や振る舞いに対して反応を見るのも、
また、鏡を見る手法として客観的な方法なのだろう。
彼の精神的に不安定さが物語っているが、
彼の内面の中には、劣等意識から来る支配欲が見える。
他者を支配しようという心理の働きは、虚栄心の現れである。
ただ、悪的概念そのものは、否定的に見るのではなく、
それが正しい形として洞察を得ることにより、
虚栄心を導くことになるであろう。

日月神示
何も六ヶ敷いこと申すでない。自分の内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ。内にあるものを浄化すれば外から近づくものがかわってくる道理。内 の自分を洗濯せずにいて、きたないものが近づくとか、世の中が暗いとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。

艮どどめの文
善と悪とは同じ事、大神様には同じ事。
悪があるから善がある、相対世界の実相は互いは互いの証明書、影こそ光の証なり。
陽と陰との融合をひつき日月で示すこの度の真文明の世界なり。

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