ひふみ神示 第19巻 マツリの巻第五帖 

ひふみ神示 第19巻 マツリの巻第五帖

肉体 先づ苦しめたら、今度その守護神にはそれだけの見せしめせなならんこと
になってゐるのざぞ。神がかりで まだ世界の事何でも判ると思ふてゐる人民
気の毒出来るぞ。八百八光の金神殿、愈々にかかりなされたぞ。
出雲の大神様 此の世かまひなさる大神様なり、其の処得ないもの、
人民ばかりでないぞ、三千世界の迷ふミタマに所得さして嬉し嬉しにまつりてやれよ、
コトで慰め弥栄へしめよ、コトまつりて神の列(つら)に入らしめよ。
その国々ぞ、あたまあたまで、まつり結構ぞ、まつり呉れよ。
邪はらふとは邪無くすることではないぞ、邪を正しく導くことざぞ、
追払ふでないぞ、まつろへよ。
引寄せて抱き参らせよ、取違ひならん大切事ぞ。


肉体的な苦行をする決定(人生)に関わった人民の守護神(先祖霊)に対して、
『見せしめ』ると警告を与えているのだ。
苦行で神の心が分かる事はない、神の加護は与えないと言う意味なのである。

今までのようなきつねや狸程度のことしか分からない
守護神(動物霊)が神かかったところで、
これからおこる世界の出来事など何も分かりはしない。
気の毒出来るぞは一種の神がかりの儀式をする
霊媒者にたいして、『見せしめ』ると警告を与えているのだろう。

そういった霊世界をふくめての、厳しい断罪の言葉と思われる。

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