神社巡りに警鐘 

隈本確氏は『大霊界1』で神社巡りに警鐘を鳴らしている。

「いわゆる信仰家といわれる人の中には、あちこちの神社、
仏閣を拝みまわり、他人の墓まで拝んでいるような人もいる。
また、神社、仏閣といえば、何か非常に偉い神さまが
宿っておられるように思って祈願をするような人もいるが、
いずれも見当はずれのことであるばかりか、
場合によってはたいへん危険なことだから、ぜひ慎んで頂きたい。
結論を先にいってしまえば、神社、仏閣といえども、
どんな霊が鎮まっているかもわからないからである。
神社だから助けてもらえると思って、一生懸命拝んでいたところが、
逆にその地に鎮まる執念霊にとりつかれてしまった、
ということにもなりかねないのである。
また、これとは逆に、総じて明治以降に建てられた壮大な神社、
仏閣には霊が鎮まっていない。
すなわち、空っぽの神社、仏閣だという場合が多いのだが、
まあ、こちらのほうは被害が軽くてすむ。
ところで、大きな神社、仏閣には、どうして神霊が実在しないのか。
たとえば江戸期、キリスト教に民衆の目を向けさせなくする政策に
加担するための神社であったり、また、時の為政者の思惑によって
政治的理由で建立されたものが多かったからである。
これらの神社、仏閣は、どんなに立派であっても、
生ける神霊とはいっさい無縁である。
逆に、山の頂上の小さな祠、石碑、墓などには、
本当に神霊が鎮まっていることが多いので、
決してやたらに拝んだりしないことである。
しきりに拝んだり、その祠や石碑についてあれこれ想いを巡らせていると、
その瞬間、そこに鎮まる神霊とその人間の波長がピタッと合って、
両者の心に想いの橋がかけられることになる。
そして、ここに憑依現象がおこるわけである。
石碑があるから、墓があるから、きっと立派な神霊がいらっしゃるのだろう、
だからよく拝んでご加護をいただこう――、
こういう考えは、即刻あらためていただきたい。
なぜなら、古い時代につくられた深い森や山の中の石碑や墓というものは、
戦いなどでむごたらしい死に方をした人が生きている人にバチをあてないように、
とゴマをすってつくられたものがほとんどだからである。
霊感の強い人がこのような場所を通るご加護がいただけるどころか、
憑依現象によって悪寒がしたり、熱がでたり、吐き気がしたり、
頭が痛くなってくるようなことがおこる」


隈本氏は20代の頃、長崎近県の神社、仏閣、祠などを巡った結果、
重度の低級霊媒体質となって肉体と精神が徹底的に破壊されたという。

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