自立 

アーリオ―ンメッセージより

愚かなる者たちよ、
扉の前でたたずむか。
扉の材質について、形状について語り、
それで扉を知ったつもりになるか。


扉を知って、それで終わりか?
扉は、何のためにあるのか。
こちら側と向こう側に出入りするためのものだろう。


扉の向こう側には、どんな世界があるか。
わからないから、扉を開けるのは怖いと言う。


わからないなら、なぜ、怖いのか?
真実は、分からないから怖いのではなくて、
自分が「わからないもの」に対応したくないだけのことだ。
対応しても、立派にこなせるかどうかわからないから、怖いのだ。


立派に対応できなかったら厭だ、
そんな自分を想像しただけで傷つく。
ならば、わからないものには立ち向かわないほうが良い、と考える。
愚かなことだ。


わからないものに勇気をもって対応しようとする者に、
惜しみない賛辞を与えながら、
心の奥底には嫉妬の炎が燃える。
そして、頭の片隅で一生懸命に自分が対応しない理由を、
だれに話しても納得してもらえるような、
美しい正当な理由を考える。
愚かなことだ。


長年、これを繰り返すと、
自己暗示によって、
わからないものに傷つきながら対応することを
嘲るようになる。
さらには、そうした行為をしようとする者を説得しようと試みる。
最後には、相手の可能性を潰してまで阻止しようとする。
愚かな…。


自立しなさい。
自立とは、わからないことの連続だ。
一瞬一瞬の行為を自らの決断で選び取り、
その結果起きるであろう全てのことに責任を持ちなさい。
だからといって、排他的になる必要はない。
だれの意見であれ、自らの意志で選んでいるんだという自覚がなければ、
自らの能力を試す結果である責任も自分の手には入らない。
自立とは、そういうことだ。
 

評価していただけるなら拍手の方をお願いします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

にほんブログ村<

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://seisinnnoyakata.blog102.fc2.com/tb.php/432-bb7000a0