最後の審判(スウェデンボルグによると) 

スウェデンボルグによると

彼の話をすれば、はるか昔に預言され、その登場が長く待たれていた
救世主が何の目的でこの世にやってきたかがよく理解できることになる。
……ヘロデやネロなどに象徴される狂った地獄の巨人の霊たちは、
「蛇の頭を砕く」と預言されていた「婦の苗裔」としての救世主を
なきものにせんと待ち構えていたことが、『マタイ伝』の記述で明らかである。
キリストはこういう状況の中で生まれ、
地獄の勢力と戦う運命を背負ってこの世に登場したのだった。
そして、キリストは何をしたのか。
救世主は、その名の通りに救世の大事業をしたのだが、
その事業を一言でいうこともできる。
キリストが行なったのは、第二回目の最後の審判だった。
巨人の霊に象徴される最も凶悪な霊たちをそこから脱出できない地獄に閉じ込め、
彼らの悪影響が他の霊界やひいては人間界に及ぶことのないようにしたのであった。
キリスト以前の霊界では、巨人、怪物たちの霊が野放しになっていた。
しかし私が実見した18世紀の霊界はそうではなかった。
これも第二回目の最後の審判によって、そういうことがなされたからに他ならない。

キリスト誕生前の世界は、非常に暗い世界であった。
その暗さは、過去の人類史上に例がなく、
その後にも少なくとも今までには例がなかった暗さであった。
その理由は前に述べた巨人や怪物たちの霊魂が霊界で勝手気ままに
跳梁跋扈していたことと、その凶悪な影響が人間界にも及んでいたことであった。
私は自分の日記に次のような体験を書いている。
「彼らは、ほかの霊たちのいる場所に入ることができないのであった。
そしてほかの霊たちとは遠く離れた場所にある地獄に閉じ込められていた。
彼らはそこから霊界のほかの場所に上がっていくことも許されず、
ほかの霊たちが彼らの場所に入ることも許されないのであった」

ここで彼らといっているのは、洪水前期の巨人や怪物のことである。
彼らがこのように同じ霊界でも他の霊たちと接触しないようにされているのは、
彼らの悪影響をほかの霊たちに及ぼさないようにするためであった。
彼らは、誤った考え方を死んで霊界に入った後でも持ち続けていた。
そしてその誤った考え方の発する毒気は、ほかの霊たちの思考の力も失わせ、
他の霊たちは半ば死んだも同然にされてしまうのだった。
彼らは、そんな者たちだったので大きな岩山の下にある地獄に閉じ込められ、
そこから出られないようにされているのだった。
こうしないと霊の世界全体の安全が保てなかったからであった。

しかし、これは18世紀の私が実見した18世紀の霊界での
彼らの様子なのだということに注意してほしい。
キリスト誕生前の霊界では、実は彼らは野放しになっていたのだった。
野放しになっていた彼らが、どんなに凶悪な影響を他に及ぼしたかは述べたが、
彼らの様子から誰にも想像できるに違いない。
しかもその影響は、霊界の中だけに止まるものではなかったのもいうまでもない。
それは当然、人間の世界にも悪い影響や毒気をまき散らすものとなっていた。
キリスト誕生以前の時期が、例のない暗い時代になっていたのも
こういう理由によってであった。

このように、野放しになっていた彼らの悪影響が
人間の世界をもいかに堕落させていたかという証拠はあり余るほどある。
エジプト、アッシリア、バビロン、ペルシア、ギリシア、
ローマのこの頃の歴史が血で汚されているのもその証拠である。
この頃の歴史は狂気と暴虐と犯罪で埋まっている。
これらの国々の王たちは、自分を神にしたがった点で巨人たちと同じだった。
そして実際に、彼らのうちの多くは野放しになった巨人たちの
凶悪な霊に自身が憑依されていたと考えても間違いではない。
これこそ、霊界からの最もストレートな悪影響だったといわねばならない。
ローマだけを例にしても、皇帝ネロをはじめとして、
多くの狂気と暴虐な皇帝や将軍が登場したのはキリスト誕生の前や直後の時期で、
彼らは巨人たちの霊に憑依されてみな自分を神にしたがった。

『創世記』が文書に書かれたのは、黄金時代よりずっとあとになってであり、
これをさらに後になってモーゼが書き写したと私は考えている。
こうして、文書に書かれたのは救世主登場の預言を含め
黄金時代の大切なことを保存するためだったが、
以来救世主登場は人類の歴史を通じて希望の灯となってきたのであった。
そして、救世主は蛇に象徴される地獄を制圧する役目を持って
登場することが約束されていたということになる。

こうして救世主が登場したのちの世界はどうなったのであろうか。
黄金時代が復活したり、白銀時代の良さが取り戻されたのであろうか。
しかし、以来1500年以上の間の状況を長い目で見るなら、
必ずしもそういう結論にならないのは残念である。
救世主のいい影響が続いた期間はせいぜい2世紀かそこらの間であった。
その後の時代はむしろ、再び転落の方向に向かい、
第三回目の最後の審判を迎えることになったのであった。


幽界で起きた第三回目の最後の審判(天変地異)は
それが現在の私たちの人間界に移写されるという事である。

地上での第三回目の最後の審判を小難にする為には、
負の想念の浄化しかほかならない

洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、
ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、
嬉し、嬉し、嬉し、嬉し、嬉し、
感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、

わははははははは…っ!
にっこりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~~~~~っ!


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