そのもの目に色のついた世界 

死神遊戯から抜粋
*記事としての文章として編集しています。

人は集団によって言語を与えられ、
思考を与えられ、
道徳を与えられる。

道徳とは人が特定の集団を維持するために作った規律だ。
つまり、集団に規律をもたらすのが正義であるわけだ。

そして、重視する集団の規模によってその規律の見方がかわり、
取るべき規律も変化する。

わかりやすい例をあげれば、戦争だ。
犯罪のうちで殺人は忌み嫌われている。
だがしかし、紛争状態にある国家では討ち取った首の数で賞賛される。

人は時として自らのものさし、
常識で測っただけの情報を、
あたかも公平な見地から得た考えであるかのように語ってしまう。

そうして構築された紛い物の客観が、
”そのもの目に色のついた世界を写すのだ。”


ひふみ神示 第二十七巻 春の巻 第二十五帖
神界の乱れイロからぢゃと申してあろう。

火水伝文
汝等《我善し》力の作りせし世の不調和から逃れんと、
あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、あちらに逃れこちらに逃れ、
ついに自らに都合の良き《内なる》メガネ作り持ちたり。

火水伝文
汝等、囚われ囚われ既に囚われし事の自覚なく、
幾重もの囚われたるメガネかけて暮らし居るのぞ。


つまり、色眼鏡のことを言っているのだが、
多くの人間は自らのものさしであれは悪だのさわぎたてるが、
この世に善悪などない。

あるのは因果応報のみ。

あの者は、○○○である、
この者は、○○○である、

色眼鏡で覗いたら、そう見えるであろう。
そして、批判や中傷はしたがるものだ。

あの者より、劣っていると嘆く者、
あの者より、勝っていると奢る者、
みなみな色眼鏡をつけておる。

人それぞれ、ハタラキがちがうのだがら、
ハタラキとはすなわち、神意を実現することである。

そなた、そなたの御役目致し結構結構。
誰に判らん御役目。

自身の色に考えに、周りを染めようとなさるは人間の持つ悪い癖ぞ。


ひふみ神示
たれ一人、悪いわがままの癖持たん人間ないぞ。
その癖を直して行くのが、皮むくことぢゃ。改心ぢゃ


生物はもともと個の目線しかもたず、
個の範囲のみ思考が及ばない。

つまり、主観のことだが、

では客観(第三者)の場合もまた、
集団自体もまた、集団に帰属し、
集団に規律をもたらす思考しか及ばないからである。

主観と客観は、対立する概念ではない。
なぜならば、客観は主観に内包された以上、
完全な客観を持たないからこそ、人は言語を得た。


ヨハネによる福音書
初めに言があった。言は神と共にあった。
言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった


評価していただけるなら拍手の方をお願いします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

にほんブログ村<

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://seisinnnoyakata.blog102.fc2.com/tb.php/493-26f38034