知的障害者 

優れた能力を地上において悪用した者が、次の転生で、
知的障碍児として過ごすことになる場合があります。
彼らの魂は、欠陥のある肉体に閉じ込められ、
自分の考えを自由に表現できないことになります。
精神的、肉体的に不自由な、この状態は、
地上における罰のうちで最も厳しいものです。
こうした試練は、みずからの過ちを償おうとする霊によって、
しばしば選択されることがあります。

この試練には意味がないわけではありません。
というのも、肉体に閉じ込められている霊自身は、
あくまでも正常だからです。霊は、かずんだ目を通して見、
弱った頭脳を通して考えるのですが、
言葉や視線を使って、考えたことを表現することができません。

悪夢の中で、『危険に遭遇し、助けを呼ぼうとしても
舌が口の奥に張りついて声が出ず、
逃げようとしても足の裏が地面に吸いついて足が動かない』
という状況を体験したことがあると思いますが、
ちょうどあのようなものと思えばよいでしょう。

身体障碍者の多くは、そのような状態で生まれなければならない、
しかるべき理由を持っています。すべては理由を持っているのであり、
あなたがた理不尽な運命だと考えている当のものこそ、
実は、至高の正義の表れであることを忘れてはなりません。
精神障碍(せいしんしょうがい)は高い能力を
濫用(らんよう)したことに対する罰です。
精神障碍に陥った人は、二重の意識を持っています。
一つは、常軌を逸して行動する意識、もう一つは、
それを知りながら、制御することのできない意識です。


知的障害児はどうかといえば、孤立して、
物事を観照(かんしょう/=本質を見極めること)
している彼らの魂は、肉体の楽しみからは無縁だとはいえ、
普通の人々とまったく同じように、感じ、考えているのです。
中には、自分で選んだ試練に反抗している者もいます。
そうした体を選んだことを後悔し、
霊界に早く還りたい激しく望んでいる者もいるのです。

精神障害児や知的障害児は、あなたがたよりもたくさんのことを知っており、
無力な肉体の奥に、想像もつかないほどの
強靭(きょうじん)な精神を潜(ひそ)ませていることを知らなくてはなりません。
肉体が、怒ったり狂ったり、ばかな振る舞いをすることに対し、
内部の魂は、恥ずかしく思ったり、苦しんだりしているのです。

同様に、人々から、あざけられ、侮辱され、邪険に扱われると―――
われわれはそういうことをしないでしょうか?―――、
彼らは、自分の弱さ、卑しさをより強く感じて、苦しむことになるのです。
犠牲者が抵抗できないことをいいことに弱い者いじめをする人々を、
もしそれが可能であれば、きっと彼らは告発したことでしょう


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コメント

質問

少数派や、なにかしら欠点のある人は、みんな罰を受けているのですか?
容姿のみにくい人や、同性愛者や、病人や、ハゲやワキガ、偏差値の低い人や、貧乏な人達なども前世の罰なのですか?罰を受けない人生とはどういうものですか?

Re: 質問

> 少数派や、なにかしら欠点のある人は、みんな罰を受けているのですか?
> 容姿のみにくい人や、同性愛者や、病人や、ハゲやワキガ、偏差値の低い人や、貧乏な人達なども前世の罰なのですか?罰を受けない人生とはどういうものですか?

カルマとは罰ではない。
カルマは意識進化のために存在している。
どのような人物だろうと、神人(和の心をもつ人間)になるためにカルマは存在している。
意識進化すれば、だれにでも、来世では美女、美男になれるし、
意識が墜落すれば来世では容姿が醜くなる。
身体障害者になることで、善人になれる人もいる。
善悪とはそのものの色のついた世界観で見ようとするから、
カルマとは罰という概念で考えようとする。
あなたに推奨する言葉がある。
”ものごとの視点を変えることだ”

この質問はせっかくなので記事にしてUPしたい。

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