運命と宿命 

(出口王仁三郎著 水鏡より)

運命と宿命

宿命とは人間各自が先天的にもって生れた境遇であって、
後天的にどうする事も出来ない境涯を言うのである。
運命は努力次第で無限に開拓して行けるものである。
例えば貴族に生れた、平民に生れた、美人に生れた、醜婦に生れた、
農家に生れた、商家に生れた、こういうのは宿命である。
後からそれを動かすことは絶対に出来ない。
しかし平民に生れたからといって、
一生涯平民で終わらねばならぬと云う理由は無い。
各自の努力次第で貴族になれぬ事もなければ、
貴族といえども放蕩懶惰(らいだ)を事とすれば
礼遇停止で平民に降下するとも限らぬ。
農家に生れたと云う宿命は動かす事が出来ないが、
これも一生涯農業をせねばならぬと云う事は無い。
何に職業替をしようと勝手である。
商業が嫌いなら外の職業を選んだって、
一向差支えない訳である。如何に天性の美人だって境遇が悪くって、
燻って居れば、化粧装飾を十分にする事の出来る
醜婦より見劣りがするものである。
即ち運命は努力でどうともする事が出来るものである。

運は人が作る

運命と宿命の違う事はかつて話しておいたが、
運命と云うものは、自分がつくって行くのである。
運という字ははこぶと訓(よ)む、
こちらから運んで運命を展開して行くのであって、
自分の思わくの立つように、自分から仕向けて行くのである。
そういう人を神様はお助けなさるのであって、
棚から牡丹餅を待って居るような人は、
いつまで待っても運が開けることは無い。
幸運は運ばねば得難いものである。

抜粋終わり

自我の強い人ほど、己の境遇を他者に転換する。

アリオンはよく、自立しなさいと言っている。

自立するということは、自我を確立することである。

シュタイナーは次のことを言っている。

来世に若さと美を得る方法について)

利己主義的な振る舞いと、愛に満ちた共同生活のなかにも、
興味深いカルマ的な関連がみられる。
凝り固まった習慣的な利己主義と、利他的な愛に満ちた共感がある。
どちらもエーテル体及び物質体に表現される。
ある人生のおいて習慣的に利己的に行動した人は、
つぎの人生において早く老け、しわが多くなる。
反対に、愛に満ちた、献身的な人生を送った人は、
つぎの人生では、いつまでも若々しく、フレッシュでいられる。
来世のために、物質体を意識的に準備することもできるのである。

まあ、私は若く見えるので、前世では

愛に満ちた、献身的な人生を送った人だろう^_^

出口王仁三郎氏が言いたいことは次につながっている。


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