身魂磨き 

「道は自分で歩めよ。御用は自分でつとめよ。人がさがしてくれるのでないぞ。
 自分で御用するのぞ。道は自分で開くのぞ。人頼りてはならんぞ。」

「その人によってふさわしい行がある。誰も同じでない。
 一合食べる人もあれば、一升食べる人もあるぞ。」

「身魂磨くと申すことは、(自分を)神の容れものとして、
 神からお預かりしている、神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ」

「身魂磨きと申すのは、神から授かっている御霊の命令に従うて、
 肉体心捨ててしもうて、神の申すこと背かんようにすることぞ。
 学や智を力と頼むうちは、身魂磨けんのざ」

「身魂磨きとは、善いと感じたことを直ちに行うことぞ」

「身魂磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ」

「そなたの心配は一応無理ないなれど、どこで、
 どんなことをしていても身魂磨けてさえおれば、
 心配なくなるぞ。心配は磨けておらぬ証拠ぞ」

「何ごとも思う通りスラリスラリと面白いほど栄えてくるぞ。
 思うように運ばなかったら省みよ。己が己に騙されて、
 己のためのみに為していることに気付かんのか。
 それが善であっても、己のためのみならば死し、全のための善ならば弥栄えるぞ。
 善にも外道の善あるぞ。心せよ」

「人に知れんように善いことつとめと申してあろが。
 人に知れんようにする善いこと神心ぞ。神のしたことになるのざぞ」

「神はその日その時に何すべきかについて教えるぞ。
 明日のことに心使うなよ。心は配れよ。取り越し苦労するなよ。」

「われが助かろうと思うたら、助からぬのざぞ、その心、我れ善しざぞ。
 身魂磨けた人から救うてやるのざぞ、神うつるのざぞ。」

「臣民は身の御用つとめてくれよ。キとミの御用であるぞ。
 ミの御用とは、からだの御用であるぞ。身、養う正しき道開いて伝えてくれよ。」

「神憑かれる肉体たくさん要るのぞ。今度の行はミをキレイにする行ぞ」

「これと信じたらまかせきれよ。損もよいぞ。病気もよいぞ。
 怪我もよいぞ。それによってメグリとって頂くのぞ。
 メグリなくなれば日本晴れぞ。今がその借銭済ましぞ」

「メグリと申すは、自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。
 メグリは自分で作るのであるぞ。他を恨んではならん」

「自分の中にあるから近寄ってくるのであるぞ。
 嫌なこと起こってくるのは、嫌なことが自分のなかにあるからぢゃ」

「苦しいこと出来てくるのが御神徳ぞ。
 この方のもとへ来て悪くなったという人民遠慮はいらん。
 帰りてくれよ。そんな軽い信心は信心ではないぞ。
 結構な苦しみがわからん臣民一人も要らんぞ。
 シカと褌締めてついて御座れよ。
 この方悪神とも見えると申してあろうがな」

「悪はないのであるが、無い悪を人民の心から生むのざぞ。
 悪の虜となって苦しむのが見えているから、苦も結構なれど要らん苦は要らんぞ。」

「家は家の、国は国の借銭済ましが始まっているのぞ。
 済ましたら気楽な世となるのぞ、世界の大晦日ぞ、
 晦日は闇ときまっているであろうがな。
 借銭返す時つらいなれど、
 返した後の晴れた気持ち、良いであろうが、昔からの借銭ざから、
 素直に苦しみこらえて神の申すこと、
 さすことに従って、日本は日本のやり方に返してくれよ」

「信仰を得て霊的に病気を治すのは、一瞬には治らんぞ。
 奇跡的になおるとみるのは間違い、迷信ぞ。
 時間も要り手間も要る。物も金も要る。
 大き努力要るのであるぞ。取り違い多いのう」

「苦しむと曲がるぞ。楽しむと伸びるぞ。
 この方苦しむこと嫌いぢゃ。苦を楽しみて下されよ」

「何ごとが起こってきても、そなたはまず喜べよ。
 それが苦しいことでも、悲しいことでも、喜んで迎えよ。
 喜ぶ心は喜び生むぞ。人民喜べば、
 神喜ぶと申してあろが。天地晴れるぞ、輝くぞ」

「真剣で求めると、真剣授かるぞ。求めるとは祈ること。
 よく祈るものは与えられる。日々の祈りは行であるぞ」

「そなたは祈りが足らんぞ。祈りと申すは心で祈り願うことではないぞ。
 実行せねばならん。地上人はものとしての行動をしなければならんぞ。
 口と心と行と三つ揃わねばと申してあること、忘れたか」

「祈りの次は省みることぞ。いくら祈り行じても、自分省みねば、
 千年行じても何もならん道理ぢゃ。同じ山に登ったり降りたり、
 御苦労のこと、馬鹿の散歩と申すもの。悔い改めよと申してあろう。
 省みて行ずるその祈り、弥栄えるぞ」

「この世の仕事があの世の仕事。この道理判らずに、
 この世の仕事捨てて、神の為じゃと申して飛び廻る鼻高さん。
 ポキンぞ。仕事仕えまつれよ」

「神示捨てて、仕事に神示生かして生活せよ。生活が神示ぢゃ。
 判りたか。早う次の御用急いで下されよ。宗教に生きて、宗教に囚われるでないぞ。
 仕事が宗教ぢゃ。小さいことから始めよ。小乗の行と馬鹿にするでないぞ。
 小乗の行から大乗の真理をつかむのであるぞ」

「現在の仕事が御神業と心得よ。不満を持ってはならん。
 そなたが招いた仕事ではないか。この道理判らねば、迷信の迷路に入るぞ」

「その仕事をより善く、より浄化するよう行じねばならんぞ。
 つとめた上にもつとめねばならん。それが御神業であるぞ」

「人の十倍も今の仕事して、その上で神の御用するのが洗濯ぞ、
 掃除ぞと申して知らしたこと忘れたか。地に足つけよと申したこと判らんのか」

「仕事は神が与えたり、人が与えてくれるのでないぞ。
 自分自身が仕事にならねばらなん。この道理さえ判れば、失業ないぞ。」

「日々の人民の御用が神の御用と一致するよう努力せねばならん。
 一致すれば嬉し嬉しで暮らし向きも何一つ足らんものなくなってくるぞ。
 食物が喜んで飛び込んでくるぞ。
 着るものが着てくれと飛び込んでくるぞ。住居も出来てくるぞ」

「日々の人間の御用を、神の御用と和すように、神の御用が人の御用、
 人の御用が神の御用となるのがマコトの道であり、弥栄の道であり、大歓喜であるぞ」

「生活が豊かになってくるのが正しい道ぞ。行き詰ったら間違った道歩いているのざ」

「金が好きなら金を拝んでもよいのぢゃ。
 区別と順序さえ心得ておれば何様を拝んでもよいぞ。
 金を拝めば金が流れてくるぞ。金を拝み得ぬイコヂさが、
 そなたを貧しくしたのぢゃ。赤貧は自慢にならん。
 無神論も自慢にならん。
 清貧は負け惜しみ。清豊になれよと申してあろうが。清豊こそ弥栄の道、神の道」

「禁欲は神の御旨でないぞ。欲を浄化して、生めよ、産めよ。
 今の人民、欲の聖化を忘れて御座るぞ。欲は無限に拡がり、
 次々に新しきもの生み出すぞ。欲を導けよ。自分だけなら五尺の身体、
 五十年の生命であるが、霊を知り、宇宙の意志を知り、神に融け入ったならは、
 無限大の身体、無限の生命となるぞ。マコトの嬉し嬉しの喜びとなるのであるぞ」

「神界の乱れ、イロからぢゃと申してあろう。
 男女関係が世の乱れであるぞ。お互いに魂のやりとりであるぞ。
 この世ばかりでなく、あの世まで続くのであるから、くどう気付けておくぞ」

「愛は養わねばならん。夫婦は命がけで、お互いに築き合わねばならんぞ。
 夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。
 生み出すのぢゃ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さがあるぞ。喜びがあるぞ」

「妻にまかせ切った夫、夫にまかせ切った妻の姿となれよ。
 信仰の真の道ひらけるぞ。一皮むけるぞ。岩戸開けるぞ。富士晴れるぞ」

「家内和合出来んようでは、この道の取次とは申されんぞ。
 和が元ざと申してあろうが。和合出来ぬのはトラとシシぞ。
 どちらにもメグリあるからざぞ。」

「他の為に行ぜよ。神は無理申さん。始めは子の為でもよい。
 親の為でもよい。自分以外の者の為に、まず行ぜよ。奉仕せよ。
 嬉し嬉しの光さし初めるぞ。初めの世界ひらけるぞ」

「喜びの捧げもの、米一粒でもよいぞ。神はうれしいぞ」

 
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