アーリオーンメッセージ 

*海路グループ(パミール→イラン→メソポタミア→エジプト→
紅海→インド洋→(ここでアフリカ東岸に位置するマダガスカル島に行く一派と分岐)
→南インド→インド洋→インドネシア諸島→
フィリピン諸島南部→台湾→南西諸島→朝鮮半島南端部→対馬→壱岐→出雲)

さらに、若狭→富山→新潟→諏訪→富士山→愛鷹へ旅した

*陸路グループ
(パミール→北インド→雲南→広西→
海南→南嶺→江蘇→上海→博多湾→阿蘇山→日向)



★AMA族先峰隊は、太古から地球の霊的な力の源泉であると
考えられていた霊山、富士山をかねてからの最終到達地点としていた。

富士山は当時、阿租(アソ)山と呼ばれ、周囲に住む人々に
好影響を与える有効な磁気を帯びたマグマを含んでいた。



★航海に向けて海路グループAMA族は、カタマランという船を開発した。
これはインドネシアでは現代も使われており、二隻のカヌーを
その間に渡した横木によって結びつけた方式のもので、
双胴船とも言われている(弥生式土器や古墳内部にも描かれた)。
真ん中には帆があり、数十人の漕ぎ手を要した。

それらの各船体は、船首と船尾が高く反り上がったゴンドラ型になっているが、
これは船のゴンドラの装飾(瑞島や龍神があしらわれた)のためばかりでなく、
航洋船として航海したときに高波につまづかないための形態である。

また、カタマランは波にもまれた時に横揺れによる船の転覆を防ぐのに役立ち、
船の積載量も大きくなり牛馬なども容易に運ぶ事が出来た。

舟の形態は、そのまま船形式住居や高床式住居として、
インドネシア各地のAMA族の居住形態となり、
日本では初期において高床式住居、後に長屋と呼ばれる居住地になった。

この住居での生活は、航海中の生死を共にする生き様を上陸後にも継続させ、
部族内での結束を高めた事だろう。

両脇に船形式住居、あるいは高床式住居がきれいに並び、
中心を参道が走り中程に集会所、奥座に神殿や拝殿が設置され、
その右と左に首領格の人物(王)の住居があった。

★スサノオの名前の由来には二つの説があり、
一つは出雲族の先祖を保護したアレクサンダー大王の最初の婚礼地である
メソポタミアの「スサ」の町からとった説と、
スサノオの生地である沼田周辺では、製鉄の際に出たものが川を赤く染めるのを 
「朱砂(スサ)」 と呼んだので、そこからとったという説である。

スサノオの「オ」とは、「男」をさすカタカムナ語(縄文語の一種)である。

★日向族では、家の棟の両方に耳のようなものをつけるのに対し、
出雲族では屋根の上へ鹿の角のような千木(チギ)というものを乗せる。

千木は、風に吹き飛ばされないように木を互い違いに両方からのせたもので、
永く大陸沿岸沿いや島々を旅して日本へ来るうちに、
出雲族が身につけた習慣であろう。

★日向族では現在の日本家屋のように家の庇のほうに玄関口が在るのに対し、
出雲族では屋根の千木の下のほうに玄関を付ける。
後者はインドネシア各地でも多く見られる。高床式住居を思い出されたい。

ARION,O∴O



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