正義感の強さ故に、悪を憎み、罪を許さないという思想 

「悪を悪と見るのが悪」

「悪いこと通して善くなる仕組、よく心得よ」

「悪も御役であるぞ。この道理よく腹に入れて下されよ」

「悪も神の御働きと申すもの、悪にくむこと、悪ぢゃ。
 善にくむより尚悪い。
 何故に判らんのか」

「すべての善は、・より起こり、・に還るのと同様、すべての悪もまた・より起こり、・に還る。
故に、神をはなれた善はなく、また神をはなれた悪のみの悪はあり得ないのである。殊に地上人はこの善悪の均衡の中にあるが故に、地上人たり得るのであって、悪を取り去るならば、地上人としての生命はなく、また善はなくなるのである。この悪を因縁により、また囚われたる感情が生み出す悪だ、と思ってはならない。この悪があればこそ、自由が存在し、生長し、弥栄するのである。悪のみの世界はなく、また善のみの世界はあり得ない。
所謂、悪のみの世界と伝えられるような地獄は存在しないのである」

「善のみにては力として進展せず、無と同じこととなり、悪のみにてもまた同様である。故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。何故ならば、悪もまた神の御力の現れの一面なるが故である。悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、この行為こそ、悪そのものである。この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の善悪となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる」

「悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂をつくりておかねば、善では動きとれんのざぞ。悪も元を正せば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ天地にごりてくるぞ」

正義感の強さ故に、
悪を憎み、
罪を許さないという思想は
幽界に通じるものである



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コメント

悪を裁き、悪を責めるのは、「外道の善人」というやつですね。

日々の更新、お疲れ様です。
毎日拝読させていただいております。
ありがとうございます(^-^)ノ
私は「悪を抱き参らせる」という日月神示の哲学をなかなか消化できず、ジンガさんのおっしゃるところ『外道の善人』なのかもしれません。
私の地元・静岡には清水の次郎長という存在がありましたが、『悪の御役』とはそういうものとは違うのでしょうかね。
この場合は義賊という感じかな。

Re: タイトルなし

> 悪を裁き、悪を責めるのは、「外道の善人」というやつですね。

こういうタイプが一番やっかいですね。
悪人よりタチが悪い。
悪人は改心するのが早いが、
外道の善人は改心するのが遅い。
死後、どちらの罪が重いかな。

Re: タイトルなし

> 日々の更新、お疲れ様です。
> 毎日拝読させていただいております。
> ありがとうございます(^-^)ノ
> 私は「悪を抱き参らせる」という日月神示の哲学をなかなか消化できず、ジンガさんのおっしゃるところ『外道の善人』なのかもしれません。
> 私の地元・静岡には清水の次郎長という存在がありましたが、『悪の御役』とはそういうものとは違うのでしょうかね。
> この場合は義賊という感じかな。

ようは悪を憎しみの心ではなく愛の心で抱き参りなさいということ。

やがては明けゆく、この空の下
 闇から闇へと呼び交わす声が こだまする
 我々のコード・ネームは「光」
 明けの明星 金星の覇者

 呼び交わす声に惑わされる事の無い様に
 衣食住の夢は 我らの夢では無い
 我らの夢は「愛」それだけ
 我らの武器もまた「愛」それだけ

 光の下に集い 「愛」を実戦する者よ
 終わる事の無い「愛」の夢を望む者よ
 「愛」だけを武器に 闘い抜くのだ

 この惑星上に 再び我らの光が充満する様に
 衣食住の夢が 終わりを告げる様に
 闘い抜くのだ

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