瞑想について 

クリシュナムルティは次のことを言っている
「瞑想は自己認識であり、自己認識がなければ瞑想はないのです。」

「完全に凝視している人が、本当の意味で瞑想しているのです。」

「精神の全過程についての理解は、分析や内省によって生れるものではありません。」

これは、クリシュナムルティは座って目を閉じてじっとしている瞑想は批判的であり、

瞑想とは自己観察のことであると述べている。


火水伝文
このヒノモトに、今ザマの瞑想なるまやかしを持ちきたらし、
普及致せし汝にキチリ申し置く由、首を洗いて聞きやれよ。


クリシュナムルティは次のことを言っている
精神自身の活動を理解し、それを注意深く観察し、凝視し、
精神の無慈悲な働きや、
召使や妻や娘や母親などに対する話し方など
を見つめることによってのみ、
精神は静寂と平和と沈黙をもたらすことができるのです。


人はだれにしも複数のペルソナをもっている。
*ペルソナとはラテン語で仮面や人格のことである。

親の前、恋人の前、友達の前、

複数のペルソナを被って生きているのだが、

クリシュナムルティは、

日常の人間関係においても行うことで、

自分自身のあるペルソナを観察しろと理解することが瞑想であると述べている。


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