パーソナルスペース 

人は、パーソナルスペースを侵されると不愉快感を表そうとする。
それが、不愉快感を表すとき、除外を始める。
ネット上でも、空間的縄張り(パーソナルスペース)が存在している。
悦、不悦で判断し、不悦なら批判し、パーソナルスペースから除外される。
私(縄張り)のだと主張することなのだろうが、
縄張り意識が強いということである。
リンクを張ったり、妄想癖のあるコメントを削除したくなる御方は、
縄張り意識の為であると思われる。
思考を指定するとは、
意図的にそのときに置かれている状況を置くことで、
パーソナルスペースの思考を誘導することで、
他人を支配する(操る)ことである。
人は、意図的にしろ、無意志的にしろ、
パーソナルスペースの思考を相手の反応を見るように、、
言葉や態度であらかじめ、望むように支配下を置くようにする。
ただ、善悪の判断を二極化でしないようにし、
言葉や態度に自己同一化をしないことで、
人は、支配を逃れることができるようになる。
だが、パーソナルスペースにおける思考は、
自我の拡大における、つまり、縄張りの拡張性そのものは、
悪におけるものでも、自己の思考で判断することはない。
なぜならば、自分自身を客観的に見ることがないものに、
良心の呵責や、絶対的に価値観を相対的に正しく見ることができないからだ。
ある異常な精神的要因を強固に形成されてきている人類を、
人間全般に見られる癒しがたい固有性の原因は、
読んだり聞いたりすることで得られる様々な印象は、
思考器官は、機械的に認識することが結晶化している。
そのため、自動的な反射運動の操り人形にならないように、
外的な出来事の記述の中に、ある教材を置くこで、
ある一部の調和的発達した人類に、
把握能力が蓄積していくプロセスを多少なりとも確立したならば、
客観的理性を認識を得ることであろう。
客観的善を維持する上で、人間の全体存在を、
内なる世界と呼ばれるものを確立をすることこそが認識を得るのである。

悪の道4 

”よくいるんだ”、善人の性質の人間は悪の道を避けて人間が
調和していけれると思っているんだ。
彼らは、独りよがりでまるで関わろうとしない。
そのくせ、救世主なんてのものを求めたがる。
優秀では、あるけど、ただ、善人の性質の人間なのだ。
善だけで、橋が渡れると思っているのが。
だから、悪の道を示すのだ。
人殺しも、盗人も、人を利用することも。
悪には、悪としての世界はあるのだ。
善として、生きていくとき、
痛感してくるだろう、君たちの脆弱性を。
悪というのは、悪を理解する心が必要なのだ。

結婚と恋愛について 

恋愛そのものは、学生時代からするものだし、
社会に出てからだと、知り合いを通じてというのもある。
単純に、好きだから付き合う以前に、
外見が好みとか、社会的地位があるとか理由でも付き合う。
好きなんて、気持ちは、”のぼせによる錯覚”である。
実際に、恋人が欲しいとか、情欲としての理由を
相手を好きという言葉で定義をしているのだろう。
本当に愛しているまで至るのは、そうそうなかなか、いないだろう。
一番、男女が付き合う方法としてお見合いがいいだろう。
しかし、高額なお金がかかる。
たとえ、お見合いをしても、付き合えるとは限らないのだ。
それに、付き合ったとしても、男女間の恋は寂れるかもしれない。
別に、情欲として付き合って、
お互いに嫌だから、別れたでもいいと思う。
どうせ、恋愛なんてそんなもんよ。

肉食について 

私も、なるべく避けていたが、いちいち、説明しても、理解するどころか、
うるさいので多少食べていたが。たまに”餃子”と”鶏肉”ぐらい。
また、酒の席で、肉食を避けるというのはなかなか難しい。
食べて、悪いことはないのだが、
ただ、肉食は自己のアストラル体にその動物のアストラル体が付着する。
鶏のアストラル体(感情)は、鶏の性格(感情)というのは、
臆病で攻撃的な性格であるから、攻撃的になりやすい。
ブタのアストラル体はイノシシの血を受け継ぎ、気性が荒いといわれます。
精神科学で、よく、肉食すると、自制心が効きにくくなると
言われているのはそのためである。
豚は豚のようになり、
牛は牛のようになる。


食物、 食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。
腹十分食べてはこぼれる、運 はつまってひらけん。この判りきったこと、
何故に判らんのぢゃ。ツキモノがたらふく食べていることに気づかんのか。
食物節すればツキモノ改心するぞ。先ず 百日めあてに、
百日過ぎたら一年、三年つづけたら開運間違いなし。病もなくなってうれしうれしとなるぞ

精神分裂病 

精神分裂病というのは、分裂的状況、つまり、うつ病等と言ったとき、
その境目に意識がフォーカスする状況(くぐり抜ける)を
霊界の境域とシュタイナーは名付けているみたいである。
一般的なものは、霊聴現象だが、
イマジネーション界の現象を聞いてしまう。
イマジネーション界は、人間の思考内容である、
エレメンタル(四大霊)を生み出している。
そのため、声を聞いた等は、エレメンタル(四大霊)であるものであるのが、
外的な原因がないのに何かを知覚をするものを病気と認定されている。

死者の書 P177-178
「生前お前は思考を働かせ、思考内容をお前の中に生じさせた。
しかしお前がそのようにして妄想に耽り、思考内容を作り出していたとき、
お前はひたすら四大霊を生み出していたのだ。
それは全宇宙に対してお前が付加した新しい何かなのだ。
お前によって霊の中へ産み落とされたものが、今ここにこうして生存している。
それはお前の思考内容の真実の姿なのだ。」