天皇制度について2 

おそらく、出口王三郎氏の言う、天皇とは指導者の立場の役職のことを言ってると思うけど。王制は、なくなると思うが、あの当時の概念で言葉で残すなら、天皇と言ったほう分かりやすいか。日本神界も、天皇霊、ニギハヤヒ大王が在任しているが、次世代の天皇は、天皇霊の勅命がよかろう。そのためには、宮廷魔術師と巫女を政治体形として、取り入れることだろう。だが、5次元とは言え、天皇霊にアクセスできる人物となると…。

家畜 

石屋なのか?堕天使なのか?異星人なのか?地球人が、腐敗した訳は。どちらにしても実験対象であることは間違いないだろう。ネズミを、実験して、チュー、チュー、言ったからと言って、研究者は、実験を辞めるかい?ようは、そういうことである。審判により、天使族も対象としているから、魂を無へと回帰するしかない。古代賢者の、名が知られてない神の情報だが、最後の審判とは、天使も、含めた、全てであると思われる。今、太陽系そのもの、改造計画であって、私達が知らないだけであって、知らないままに、変わっていた。それが、富士と鳴門の仕組みではないだろうか?アセンションを当てはまり、解読をしているものは、数名いたが、…、私の見た所、日月神示は…、解読を目的としているわけではないだろう。ようは、考えさせることである。あの男の、手のひらということである。まあ、だいだいは理解した。モーセなみの知覚領域を、理解しろというのは無理な話である。それにしても、日月経由の最後の生き残りは、私ぐらいだろう。皆さん、日月神示だけで、とらわれているから、そうなる。自分自身の思考を疑うこともなく、自身の思考のみ判断し、正しいと思っているのである。そんなことはないと言わせることは、思考を疑うことがないこであろう。

支配者タイプ 

善より、悪のが優秀であることがしばしば多い。私の言う支配者とは、為政者、王、指導者のことを指す。人は、悪の傾向へと陥りやすい。そのため、悪の概念で文章として書き出すことにより、ただ、自己同一化しないようにさせることである。善で語ると、陶酔してしまう可能性が高い。宗教家の多くが、失敗するのはそのためである。おそらく、私の言ってることは、石屋の水準までの段階で、喋っているので、理解しにくいと思う。ただ、道徳心を書くのではなく、読者が悪を理解してくれたなら、筆者 のやったかいもあるだろう。石屋と手を結ぶとはこのことであろうがな。なーんてな。

会社の人間で 

会社の人間で、凄い真面目な人がいるだけど、休みの日は、朝からビール飲んでるていうことを聞いた。さすがに、朝からは😅。昼間から、花見とかで飲む人はいるけど、私はしないな。疲れるじゃん。まあ、完全にアル中だな。精神世界では、酒を辞めたほうがいいと言われているが、大麻を解禁しないかぎり、自分自身の意思では抜けなくい。グルジェフも、酔っぱらた状態を観察の対象としているし、酔うという行動も、指導霊の指導する指標と考えれば、悪い状態も観察となりやすい。ただ、酒を飲んだら、ビタミン欠乏になりやすいから、野菜、トマトジュース、サプリ等をとることである。ちなみに、私の場合、性的行為がないため、酒をやめるつもりはない。一般的に精神世界の人は、恋人、夫婦が存在しているから、性的行為がない状態の精神状態を理解してないと思われる。宗教家でも、性風俗を行ってるのもいるが、否定するつもりはない。なぜなら、暴力的、支配力を強めるからである。ダースベータになるぐらいなら(^^; 日本人が、一番、性風俗利用してるだろうけど。まあ、どうでもいいじゃない。自分の娘が売春しなければ、息子が行っても、気にしない親は多いと思うよ。まあ、私の場合、道徳心というより、性風俗自体、アストラル体が穢れるし。まあ、30代独身は、汚れていると見たほうが、いいだろうね。

カルト宗教と言う人について 

ある某宗教団体は、カルト宗教とレッテルを貼っているものがいる。日月神示経由で、気にしていたのだが、おそらく、まあ、人生でなにかしらあって、精神的に爆発したのであろう。しかし、よく、観察してみよ。彼らは、基本的に善人である。ただ、貧困者や、子供時代に、親のことで、不幸な人生を歩んだものが多数である。宗教に、たずさわるものが多いが、自我が拡大すると、広めたることは多い。たとえば、リンクをブログのコメントしたりしてな。簡潔に言って、自我による、縄張りである。あまり、邪険にして、攻撃になっては、いけないと私の人生で学んだ。まずは、自ら、ただせよ。悪とは、悪とは思ってない。悪は、他者にあらず、自らの心にある。もっと、見つめてみよ、最低の自分自身を。犬が、吠えたからと言って、叩くやつがいるか。人間同士なら、諭してみせよ。叩いたら、犬でも、人間でも、イライラするだろう。攻撃的になって、言動をしたなら、それは、叩いていると一緒である。まあ、私も、常に、反省している若輩者である。